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謝 国明(しゃ こくめい)

謝国明は宋(960年~1279年)の臨安(杭州)出身で、博多に住んで日宋貿易で大きな財を築いた、いわゆる「博多綱首」の1人です。当時の博多は多くの外国人が行き来する国際都市でした。謝国明はその代表的な人物です。謝国明の出生についてわからないことが多く、後に日本に帰化し、謝太郎国明(しゃたろうくにあき)と名乗りました。

また禅宗をはじめとした中国の文化を博多に紹介し、文化交流にも大きな貢献をしています。今では博多の代表的な寺院として知られる「承天寺」(しょうてんじ)も、謝国明が私財を投げうって創建したものです。

ある年の大晦日、博多の町では飢饉や悪疫で多くの庶民が苦しんでいました。謝国明は貧しい人々を助けるため、蓄えていたそば粉などを持ち出して承天寺の境内で「そば」を振る舞ったそうです。この故事にならい、博多では「年越しそば」と言わずに『運そば』と呼ぶようになりました。

1280(弘安3)年に88歳で没したと伝えられる謝国明は、当時の承天寺の東のはずれに埋葬されました。これを守るかのようにスクノキの大木が立っていますが、地元では「大楠様」として親しまれています。また、同寺には「饂飩蕎麦発祥地」の碑も建てられています。

2001年放送のNHK大河ドラマ『北条時宗』では北大路欣也が謝国明を演じ、蒙古の情勢を北条時頼に伝える役割を果たしたことが話題を呼びました。ただし、この場面はあくまでも物語で、実際にこうしたやり取りをしたという裏付けはありません。

しかしながら、当時、謝国明が持っていた日本での影響力を考えると、こうしたことが実際には起きていたのかもしれない、との想像力を働かせながらつくられた場面だったのでしょう。

博多では、毎年8月21日には謝国明を偲び、700年以上も地域で受け継がれてきた「大楠様千灯明祭」が行われています。枯れてしまった楠の隣には、2代目の楠が植えられ、今では青々とした葉を茂らせています。

(射国明と承天寺、聖一国師)
射国明は、宗に留学して帰って来た「円爾」(えんに)こと、「聖一国師」(しょういちこくし)を援助し、私財によって「承天寺」を創建しました。聖一国師は、最初に「国師」という称号を与えられた禅僧であり、日本にそば、うどん、饅頭、お茶を広めた人物とされています。
<関連する場所>
承天寺
大楠様(射国明の墓)

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